お侍様 小劇場
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    “蛍の子供” 〜寵猫抄より


      



今宵は下弦の居待ち月。
満月がやや欠けたかなという丸さのそれが、
真珠色の明るさ灯し、
深藍を塗すくった夏の宵の空に浮かんでいる。
いつまでも酷暑が続き、
夜も夜で熱帯夜とかいう、蒸し暑い晩ばかりが続いており。
せめて陽が落ちた後くらい、涼しい風が吹けばいいのにと、
恨めしいぞという顔になっている人は多かろう。
古くからの住民が多く、
お屋敷町と呼ばれる、閑静なこの辺りとて、
そういう付帯条件には変わりもなくて。
ただまあ、家屋の密集地ではない分、
昔からの工夫も生きていてのこと、
表から庭へと風のとおり道を作れば、
エアコンに頼らずとも、何とか しのげないこともないかと……。

 “…などと。”

往生際の悪い言いようを並べてみた敏腕秘書殿。
言いたいことはそれだけかと、
胸高に腕を組んでた勘兵衛には、
ほとんど聞いてもらえていなかったようで。
最新型で、冷え過ぎ防止機能つき、
お肌に優しい湿度センサーも付いてますエアコンを
ほんの先日設置されたばかりな寝室にて。
儂はまだ少々原稿が残っておるからと、
とはいえ お主は付き合うことはない、
体が資本だ、大人しく休んでなさいと言い渡されており。
仔猫二匹にも不公平なく、
同じ機能つきの空調機をリビングに付けてもらっていて。

 “というか…。”

むしろ七郎次に気どられぬよう、
仔猫たちのために買い替えだなんて誤魔化したその隙に、
人間たちの寝室のも付け替えたというのが正しい順番。

 『…?』

静音機能も抜群ではあったが、
それでも、何かしら気になるものがあってのこと。
カーテンを引かれたリビングのソファーの上、
今の時期はタオルケットを敷かれたところに、
小さなクロと二人くっついて寝ていた、
メインクーンの久蔵だったけれど。
家中の気配が寝静まった更夜になって、
むくりと身を起こすと壁へとちょこちょこと歩みを進め、

  『………。』

湿気の多い夜陰の中、
壁を擦り抜けて外へまでと出ていたりする。
さすがに、仔猫のままではなくの、
小さな幼児の姿にて。
しんと静かな夜陰の中、
眠たいようと、ふくふくのお手々で目許を擦っていたものが。
月光に濡れた濃色の葉もつややかな、
何本かが連なる椿の茂みを抜けたれば。
陰から出て来たその姿、
見た目も雰囲気もすっかりと様変わりしておいで。
軽やかな金の綿毛は同じなものの、
身の丈も伸びてのすらりと六尺近い(180センチ弱)その上に。
愛くるしくも あどけない風貌だったものが、
切れ長の目許に細い鼻梁、肉薄な口許と、
一気に鋭角に冴えての玲瓏透徹。
すらりとした痩躯にまとう、
七彩の薄絹の小袖と足元まである厚絹の道着といういで立ちの、
どこか神秘を含んだ風雅さも加わり、
それは妖冶な蠱惑をおびた身となっており。

 《 ……。》

気温が高いといっても昼間の比じゃあない。
だがだが、むんと濃密で息が詰まりそうな湿気が垂れ込め、
そのせいで、寝苦しい“熱帯夜”とかいう情況になっているらしく。
近くに感じられるワケではないながら、
それでも こんな時間とは思えぬほどに、
未だ目を覚ましている人々の気配も少なくはない。
楽しく起きている存在もあるにはあるが、
一応は床に就いており、
眠れずに輾転反側、寝床を転げ回っておいでのむきが大半で。
昼のうちに七郎次が話していたように、
自業自得の人災とやらだと薄々判ってもいるようなのに、
じゃあ…とあっさり暮らし方をあらためるのもまた、
そうも容易なことではないらしく。

 《 …人の意図にて作った都市だろうにな。》

山をうがち、川を埋め、
さんざん自然へ蓋をしておきながら。
煌びやかな電飾で、
空の星さえ霞ませておきながら。
なのに今更“風水”だの“五行”だのに頼る人もおり。

 《 そも…。》

そもそも、地に満ちた同胞の心持ちさえ推し量ろうともせぬくせに。
すぐ隣りの仲間さえ、容易く踏みにじる非道さも備え持つくせに。
そんなせいで、現世のこの地は、
かつての昔、森や山にさんざん居たような、
武人さえ食うよな大妖こそ稀になったが…その代わり。
人の和子の怨嗟が育てた、
封滅破排の難しい怪異・邪妖の、何とも増えたことだろか。

 《 …っ。》

確かに何かの気配を察し、
それでと出て来た久蔵で。
居待ち月がもう随分と天空を昇っている刻限だというに、
芝草の広がる庭先に、誰か立っている人影がある。
都心間近とは思えぬ草いきれの中、
月の光の下に、立っていたのは誰あろう、

  「……久蔵?」

白い細おもてへと添わせるように、金の髪を肩までおろし。
ただぼんやりと立っているだけだと、
なで肩のせいか、日頃の頼もしさが随分と薄れて見える青年が。
そう、七郎次が立っているではないか。

 “え?”

此処は彼の自宅なのだから、
眠れずに外まで出て来ってそれは構わないだろが。
それにしては…何とも様子が妖しくて。
でも、間違いなく七郎次の気配はして。

 「こんな夜更けにどうしたの?」

こちらを見やって、薄く微笑ったお顔は勿論のこと、
アロハ調の襟元が少し艶っぽいが、
それでもきっちりボタンをかけて行儀よくまとったパジャマも、
ほんの少し前に見た、彼のものには違いない。
けれどでも、

 《 …?》

異様なまでの違和感がするのはどうしてだろうか。

「もうお外に出られるんだね。
 そうやって少しずつ離れてっても大丈夫になってくんだ。
 アタシもそうやって大人になったはずなのに、
 おかしいねぇ、何だかとっても寂しいんだ。」

淀みなく話す彼は、
そりゃあ穏やかな表情をしており。
それだのに、この姿の自分へまで、
背条が凍るような何かをおびているのが判る。

 “…この姿?”

そうだ、一番の違和感はそれだ。
今の自分は仔猫でもなきゃ子供でもない。
この姿の自分へ、どうして彼が“久蔵”と話しかける?

 「やっと、勘兵衛様のお心と通じ合えたと思ったら、
  今度はお前が遠くなる。」

 “シチ?”

おいでと招くように延べられた白い腕。
いつもいつもそうやってこちらへと伸ばされる彼の手は、
何でも出来る器用さと、何とも柔らかな温かい安堵とをくれたのに。
お顔に浮かんでいる表情が淡いそれであるせいか、
いやいや、そんなことでじゃあなくて。
あの、それは優しい眼差しや笑みから、
惜しみなく相手へとそそぎ込まれる温かさが、
今はまるきり感じられない、手であり、笑みだと気がついた。

 《 …きさまっ!》

一体何物かと、後ろへ飛び退るようになっての間を保ちつつ、
闇の中から自分の得物、細身の精霊刀を掴み出そうとしたその矢先、


  
ふなぁ〜うぅぅ


どこか空声っぽい、甘やかな猫の鳴き声がし、
それと同時に、夜陰を切り裂くように宙を駆けた存在があって。

 《 …っ。》

それがぶつかったと思われるような、後ろざまへとよろける動きをしたそのまま、
まるで雲や煙がむすんだ像が呆気なくも崩れてゆくように、
対峙していた“七郎次”は、するするするっと輪郭だけとなり。
その稜線も…手を延ばして届かせようとした動作が、
だが、そうと思った意志からはずんと遅くてのこと。
間に合わなかった間合いの先で、
幻が解けるように消えてしまった。
仄かな余燼か、
青白い炎が見えたような気がしたが、
それも瞬く間に掻き消えて。
あっと言う間の顛末に、
大妖狩りであるはずの身が凍っていたのがもどかしい。
舌打ちしかけた久蔵へ、
それこそ話し掛けるようなしっかとした声音がかかり、

 「あの姿で現れるとはの。
  儂が手が出せぬと判ってのことか、偶然か。」

   え?

 「お主にも見分けがつかなんだとは、
  なかなかの技ではあったようだの。」

さては、本物のシチの精気を数めとっていたは
この準備だったものかと。
物騒な物言いしつつ、
月の光の落ちる芝草の庭先、その姿を表したは、

 《 シマダ?》

名を呼んでから、だが はっとする。
先程の怪しい存在はともかく、
こちらはどう見てもこの屋敷の当主、生身の勘兵衛であり。
となると、
果たしてこの“自分”は彼には見えているのだろうか?
こちらが思い切り意識を張って、
霊感が強い人間になら何とか、という覚えはあるが、
今時にはそれも珍しいこと。

 「そう。霊気も薄れた今世の、
  しかもこうも自然物の少ない土地ではの。
  普通一般の人間に、お主らを把握するのは難しかろう。」

 《 …っ。》

意外なことを口にした勘兵衛の足元には、

 「みゃおぅうvv」

聞き覚えのある声がし、
この最近に家族に加わった、あの黒い仔猫がいる。
夜陰の中に黒い毛並みはなかなか曖昧なはずが、
つややかな潤みを月光に光らせていて、
輪郭まではっきり判るその上、
それは愛らしい仕草で勘兵衛の足元へと身を擦りつけていたかと思えば、
軽やかな身ごなし、大人の猫のように宙へと身を躍らせると、
大柄で体格のいい勘兵衛の肩の上、そこが常の居場所であるかのように
ちょこりと載って座り込む。

 《 …………。》

どういうことか、話が見えぬと眉を寄せれば、
逆に壮年の表情がふわりとほぐれた。
その格好で執筆していた書斎から出て来たそのままなのだろう、
蓬髪をゆるく束ねた彼もまた、
先程の七郎次もどきの如く、気に入りのパジャマ姿でしかなくて。
鷹揚そうともとれる余裕の頬笑みといい、
いつもの勘兵衛と同じなのに。

  だのに不思議と、雰囲気が違う。

  それに、猫だ。

庭先で見かけて彼の前へと連れてったおり、
何だその子はと、そりゃあ驚いていた彼だったはずなのに。
その顔には作ったところなぞなかったし、
数日かかって何とか馴染んだこの頃だとて、
飼い猫がもう1匹増えたという程度の、感覚でいたんじゃなかったか?
呑気にも携帯の撮影機能を向けちゃあ、
ああしまった、これでは猫が二匹の図だなと苦笑していた、
そんな彼ではなかったか?

 《 ……。》

怪訝そうな顔で、猫と勘兵衛とを見比べてばかりいる久蔵へ、

 「あのような輩を屠ったばかり、
  怪しいと思うのも無理はなかろうがな。
  儂はお前の知る…当家の主人で うだつの上がらぬ小説家だし、
  こやつは儂の式神だ。」

 《 ……!?》

やはりあっさりと言った勘兵衛の声へと呼応して、

  にゃ〜う

短く鳴いた仔猫であり。
さすがに にいと笑いまではしなかったけれど、
自分は見かけほどの小さきものではないのだよという、
威風堂々とした顔つきでいるのはありありしており。

 「島田の家は、代々とある筋へ陰陽師を出していた血統でな。」

そうと口にしつつも自分で少々苦笑しているのは、
自身が日頃、原稿用紙の上へ綴っている空想小説じゃああるまいしと、
自分でもそんなところを思い出し、
何という符合かと、もしかして…滑稽な皮肉だとでも思ったからか。
とはいえ、

 《 ………。》

理屈に合わぬ、物理に合わぬ、不可思議な…というのなら、
久蔵自身もまた、妖異の枠内という存在でありながら、
この陽の世界へ実在しているワケで。
特に感じ入っての顔色を変えるでもないままな久蔵へ、
そう、確かに目線といい表情といい、
仔猫じゃあなく、幼児でもなく、
青年の姿をしている久蔵への話しかけは続き、

「冗談ごとのようだし、
 儂自身も ただのまじない、
 神主の祈祷のようなものとしか思うてはおらなんだがの。」

だが、このような式神、誰も連れてはおらなんだし、
誰にでも見えるものではないらしいと判ってから、
用心しいしい過ごすようになりはしたのだがと。
肩先から身を起こし、小さな頭を頬へと擦りつけて来る仔猫へ苦笑をし、

「そのような家系だったことも戦中までの話だしの。
 精霊とやらの御加護に頼って物事を決めるような、
 非合理なものなぞ、既(とう)に不要な世の中となったし、
 こやつが活動に要るだけの霊気もそこいらにはない。」

彫の深い顔立ちを天へと向ければ、
月の光がそれをいろどる。
青みの強い夏の宵、そこへと浮かんだ勘兵衛の横顔は、
表情こそ頼もしいそれだったが、稜線は繊細で。
自立心の旺盛な人性は逞しいが、
微細なものを感じとる力、
持ち合わせていても不思議はないかと感じさせ、そして…。

 “………ああ、そうか。”

だから、こやつは代々強大な“蟲妖”に狙われており、
今の世は今の世で、
人の怨嗟が生んだ邪妖を惹き寄せるのかも知れぬ。
本人は対処の方法も知っていようが、
七郎次は さてどうなのか。

 “…知らぬままだな。”

以前に、勘兵衛の姿に身をやつした邪妖に
危うく食われそうになったことがあったほどだもの。
あくまでも勘兵衛の執筆の資料以上には、
このようなことへの知識も何も持ってはおるまい。
そんな納得をしている間にも、
勘兵衛の話は続いており。
少しほど出て来たそよ風に、
和蘭の茂みがさわさわと躍る中、

「一応の取り決めで、術式と支配の言霊を父から引き継ぎはしたものの、
 こやつは周囲に満ちた自然の霊気を糧にする存在だ、
 術師の霊気を使うしかない状況なのでは、その行動も侭にならぬも同然。
 どうで引っ張り出しても駆け回る野山もない、
 対峙する邪妖もあらず、友であるべき精霊たちもいないのでは、
 こやつにもただ退屈なだけだろうと、
 庭の祠に封じておったのだがの。」

 《 …………あ。》

そんな話の流れへ、久蔵が思わず声を発したのは、

「そう。カンナ村からの客人の気配がな、起こしてしもうた。」

信心深くて優しい子。
それは豊かな心持ちをしたキュウゾウくんの、
暖かくっていたわるような素直な声かけに、
つつかれてしまった彼であり。
しかも、昨年には村の蛍までが届けられ、
それは芳醇な精気をそそがれたことで、
自由に駆け回れる身にまで覚醒しおったのだ、と。
困ったことだと言いたげなのに、その口調は楽しげだ。
邪妖の跋扈も、クロの覚醒とやらも、
どうやら勘兵衛にも思わぬ事態だったらしいというのは判ったものの、
ただ、

 《 対峙する邪妖がおらぬ?》

時折、この屋敷にも怪かしの影は躍っておったがと、目許を眇めた久蔵なのへ。
やはりそんな思惑を読んだのだろう。

 「お主やあの黒いのも出入りしておったしの。」

今その身をさらしている自分はともかく、
兵庫のことまでも ずばりと言い当てられたのがやや癪で、

 《 〜〜〜〜〜〜。》

妖異と一緒にするなと口許を曲げれば、

 「お主らの正体は判らぬが、悪い気配はせぬのでな。」

くつくつと笑ってみせた勘兵衛ではあるが、
過去からの因縁があって、
此処に…彼や七郎次の傍らにいる久蔵だというのは、
さすがに判らないままならしい。

 『まあ それはしょうがないさ。』

遠い過去からそのままずっと生きながらえている自分らと違い、
過去から血統という形で引き継いだ陰陽の素養があるというだけで、
彼本人には、今までを生きて来て得た当人の記憶しかない身だ。
妖しい存在を把握出来ただけでも途轍もない凄腕、
こちらとの因縁、覚えていなくてもしょうがないというところ。
そういうところが見抜けなんだことをこそ、兵庫の側は口惜しがっていたが。

  それもこれも、後日のお話。

出来ることなら、
儂の真の素性もこの子のことも、
七郎次には黙っておいてくれぬかの?

 《 ……。》

寡黙な御仁だの。
なのでと黙っていてくれるのか?

 《 驚かせるだけだ。》

???
……おお、そうだったの。
子供の久蔵も人の言葉は話さぬしの。

 《 お前こそ。》

ああ、ああ。
勿論のこと、普段は変わらぬ態度でいようぞ。
お前もな? クロ。

にゃおう♪


   真夏の真夜中はお気をつけなさい。
   寝苦しくとも窓を開けたままでいてはいけないよ?
   妖精たちの輪っかがあったり、
   月の女神様に覗かれていたり。
   そうして、何処かへ攫われかねぬ。
   不思議な国の不思議な宴へ捨て置かれ、
   戻って来れなんだらどうします。
   だからだから、窓を開けて眠ってはいけませぬ。
   真っ黒な仔猫が忍び入り、
   異世界までとお誘いに来るやも知れぬから……。







   〜Fine〜  2011.08.17.〜08.18.


  *忘れていた人もおいでかも知れませんが、
   そもそも久蔵さんは、
   ずんと大昔からの縁があって、
   勘兵衛さんたちに近寄った存在で。
   何故だか蟲妖や大妖に狙われる身の上、
   それを庇ったり庇い損ねたりで、
   最愛の相手と死に別れてしまう勘兵衛と七郎次だったの、
   何でか見過ごせなくって傍らに居続けてたんですが…。
   誰よりもご本人からして、すっかりと忘れていたかもですね。
(大笑)

  *とはいえ、
   いきなり“実は おっさまは陰陽師でした”というのは、
   どんなどんでん返しだ・おいと。
   今までの展開との辻褄込みで、
   ツッコミどころも満載じゃないかなぁなんて、
   悩むというか迷うというかもしたんですよ? これでも。
   真夏の、しかも熱帯夜が見せた気の迷いってことにしとこうか、
   でも、辻褄は合わんでもないしなぁとか。

    ですので……此処で問題です。

   実は島田勘兵衛さんは、
   黒猫クロちゃんを式神とする、由緒正しい陰陽師である。

    @これって久蔵殿が見た、真夏の夜の夢である。
    Aいやいやむしろ、シチさんが見た悪夢である。
    Bつか、勘兵衛様がネタをこねつつ寝たついで、
     想像力も逞しく、見てしまった…以下同文である。

   さあさあ、ど〜れだ?(こらー!)


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